ひろしまハウスが建てられた経緯

1994年の広島アジア競技大会が開かれた際、広島から約3800km離れたカンボジアでは、選手を日本に送り出すことが困難でした。
広島市民はそれを知り、ひろしま・カンボジア市民交流会としてカンボジア選手を支援。
大会終了後、カンボジアの首都プノンペンにあるウナローム寺院の僧であった渋井修さんの協力で、寺院の境内に「ひろしまハウス」の建設の話が持ち上がりました。
1996年春、広島市主催の市民講座「未来大学」で石山修武氏がまちづくりについて講演したのが縁で、ひろしま・カンボジア市民交流会の国近代表が石山氏に「ひろしまハウス」の設計を依頼。
「ひろしまハウス」の建設資金は募金でまかなわれ2006年11月に完成しました。
建設当時は、「ひろしまハウス」は、原爆によって壊滅した広島の歴史を、内戦やポル・ポト派による虐殺にさらされたカンボジアの人に知ってもらい、また職や家、親を失った多くの人がそこで暮らしながら学べる環境を提供する事をコンセプトに建設されました。
現在では、路上生活をする子供や、近隣住む子供65名ほどが勉強を学びに来ています。
施設の運営費は、募金でまかなわれています。
内戦後カンボジアには本を読むという文化がほとんど無く、ひろしまハウスには図書館があり、クメール語訳された日本の絵本があります。
子供達はクメール後翻訳された日本の絵本を読み、文字の勉強をします。
なぜカンボジアなの?
カンボジア王国では、1993年に20年間にわたる内戦が終わり、国連支援による選挙を行なって新しい国づくりが始まりました。
その翌年、第12回アジア競技大会広島 1994 にカンボジア選手の参加を実現させようと、東京の猪谷千春IOC理事の呼び掛けで、その費用を募る「ガンバレカンボジアプロジェクト」が発足しました。
このプロジェクトの広島支部では「フラワーフェスティバル」でのカレーショップなどを通して、多くの市民の賛同を得て選手の大会参加を支援することができました。
選手たちのひたむきに頑張る姿とそれを応援した市民との交流は、日本中に平和の喜びと感動を与えてくれました。
選手たちは、広島平和記念公園の原爆資料館を訪れて、被爆直後の広島の惨状を知り「廃虚から復興した広島の姿は、私たちに希望を持たせてくれます。」と目を輝かせていました。
ひろしまに来られないカンボジアの人たちに、このハウスと交流は、希望を与えてくれることでしょう。
復興にむけて立ちあがるカンボジアの人々の姿は、まさに広島市民の歩みと重なるのです。
アジア競技大会から始まったカンボジアの人々との交流は、わたしたちが平和についてあらためて考えるきっかけになりました。
両国の平和のシンボル、そしてこれからの交流の拠点としての「ひろしまハウス」を中心に誰でもが様々な形で交流できることが今の私の目標です。
ひろしまハウス
館長 国近 京子
こどもたちに託す未来
カンボジアは1991年のパリ和平協定で、20年にわたる内戦に終止符を打ちました。
日本は80年代末から和平や復興に力を貸してきました。
「ひろしまハウス」は二国間の市民レベルの交流のきずなを強めるものです。
カンボジアでは1975年4月から3年9ヵ月続いたポル・ポト時代に、200万人の人が強制労働や飢餓、虐殺により命を奪われたといわれています。
この大虐殺を裁くため、国連とカンボジア政府は2006年7月に特別法廷を設置して審理には入りました。
ヒロシマ、アウシュビッツ、ポル・ポトの大虐殺・・・・
20世紀に現出したこれらの出来事は、私たちに「人間とは何か」「平和とは何か」ということを考えさせます。
「虐殺」「飢餓」「内戦」「変革」・・・・・様々な影を背負いながらもカンボジアの人たちは、いま国づくりに励んでいます。
このカンボジアの未来を担うのは子どもたちです。貧しいくらし中でも、子どもたちの目はキラキラと輝いています。
この子どもたちが健康に育ち、教育を受けて、立派な人間になって豊かな社会をつくってくれることを私たちは願っています。
「ひろしまハウス」に込められたヒロシマの思いは、きっと子どもたちを通して結実することでしょう。
カンボジア・ひろしまハウス協会
理事長 平岡 敬
ひろしまハウスの概要
構造 | 鉄筋コンクリート・レンガ造 地上 4階 |
建築面積 | 534平方メートル 162坪 |
延床面積 | 1526.3平方メート ル 462.5坪 |
費用総額 | 41,142,000円 |
ひろしまハウス建設費用
建設費は、その大部分を一般個人・団体等-多くの方々の募金をお願いし、一部は広島県の補助金により賄われました。
建設センター 11,258,000円、市民交流会 9,039,000円、石山研究室 3,162,000円、ANTひろしま 500,000円、渋井 修 1,683,000円、NGO 500,000円、広島県 5,000,000円、総額 31,142,000円
尚、先行していた1階部分約10,000,000円は渋井修・友国義信氏より無償で譲渡されました。